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Yukihy Life

ゆきひーによる日常生活をアウトプットするブログ 映画・TOEIC・教育ネタとだいぶ物理とWeb制作

読了!「名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉」

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今回はこんな本を読みました

名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)

名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉 (光文社新書)

 

 かなりタイトルにつられて購入した感はあり、買った後に少し後悔しましたが、内容を読んでみると、しっかりしたボリューム感のある本でした。この本では主に「大学生の学力低下」について論じられています。しかし、その学力低下の原因は「大学生による怠惰のせいではなく、「大学というものの制度」にあるという立場から話しています。

 

概要

大学生の学力低下

「中位以下の」高校生の学力というものは、かなり落ち込んでいる。それにも関わらず、そういった人たちも多くの人たちが大学に進学をしている。大学進学率は先進国のなかで非常に高く、言わば「名ばかり大学生」が蔓延している。こういったように、ほとんど勉強をせずに大学に進学をする者は世界的に少なくない。だが決定的に世界と違うのは、「大学の中退率」である。日本の中退率は10%と低く、先進国の基準は31%、イタリアは55%にもなる。

少子高齢化が進む中で、大学の数は年々増加してきた。1993年から18歳以下の人口が減少することで、大学経営陣は短大を4年生の大学に変更して資金調達を試みたり、女子大学を共学にすることによって延命してきた。しかし近年その方法にも限界が見え始め、大学側は莫大な数の「繰り上げ合格」や、「AO入試」「推薦入試」など、試験を受けることなく入学できるようにしてきた。

こうして生まれた「名ばかり大学生」は、1970年代の暴走族に匹敵する学力の持ち主だ。

 

競争の激化による弊害

学力低下を防ぐためには、「大学入学の定員を絞ればよい」という議論があるが、それは世界的に見ても例にない試みというのみならず、定員を減らすことによって「競争が激化する」ことに問題があると指摘する。

「入学者の定員の減少」は、1970年末から1980年前半にかけて、愛知県の高校入試の際に実際に行われた。具体的には、中学時代に「人物総合評価欄」という欄があり、下位10%のC評価をつけられてしまった中学生は、その場で高校受験を断念しなければいけないというものだった。

この試みは「短期的には成功」し、「長期的には失敗」した。「短期的な成功」とは、愛知県の東郷高校は国公立合格者が続出し、また同県岡崎高校は東大合格者を一桁から30人以上まで伸ばすことができた。しかし「長期的な失敗」として、校内暴力・おちこぼれ・いじめ・女子高生の援助交際など、様々な問題を生み出すことになった。

学力=競争という構図が、親の間でも子どもの間でも広まり、「塾」という産業が急速に広まってくるのもこのあたりからになる。

 

学ぶ意思を奪う教育システム

学力=競争という構図が広まる中で、世の中の子どもたちには、学力というものの意味よりも、他人との「序列」という概念が広まる。また親の間でも、子どもの学力よりも子どもの「序列」を見る風習がうまれる。

東京大学の入試問題や、桜蔭中学の入試問題を1970年代のものと比較すると、とてつもなく難化している。トップ層は昔と比べて学力は低下しておらず、むしろ上がっているのである。問題としては、学力の格差が広がり、それを埋められないことにある。例えば桜蔭中学に入学するためには、小学生のころから普通の子と住み分けがされていなければならず「十二歳で配られるパスポート」として、その学力差は決して埋めることはできない。

 

学力格差はいかにして起こされるか

秋田県は教員などの工夫もあり、中学生の学力が全国トップである。しかし大学入試の際に行うセンター試験の順位は平均よりも低く、センター試験の順位が高いのは、東京や近畿地方が多い。

これは、東京周辺や地方周辺は、多くの学力中間層向けの大学があるのに対して、地方ではそれが無いということに原因がある。つまり東京周辺では、「上位学力→受験」「中位学力→受験」「下位学力→AOや推薦」とできるが、地方では、「上位学力→受験」「中位学力→AOや推薦」「下位学力→AOや推薦」となってしまい、中学歴層で、地元で受験しようという学生が、勉強を諦めてしまうからである。(AOや推薦が悪いと言っているわけではなく、またAOや推薦を受ける人が全員学力が低いと言っているわけではない。僕が勝手につけたイメージです)

また、東京や神戸などの教育熱心な家庭は、教育のために年間100万円を出費することをためらわない。こういったところと張り合うには、かなり無茶である。

このようにして起こされる学力の格差に加え、上から下まで拾い集める大学のシステムが、結果として大学生の学力低下の原因としている者は多い。しかしこれは間違っている。

 

大学生の学力低下の本当の原因は?

ある研究によると、4年間大学生の動向を追跡すると、「入試成績が良くても大学1年生で伸び悩むと、高い確率で専門課程でも良い成績を修められない」という結果がでた。言い換えれば「入試成績が低くとも、大学1年生で伸びれば、専門課程でも上位に入る可能性が高い」のだ。これは、高校の学力と、大学の学力は一致していないと言え、入学直後からの教育がいかに重要かということが確認される。

このようにとらえると、日本の大学生の学力の低下は、高校までの学力の低下とは関係がない。また「その学校に適した学力の者を選抜する」という大学受験の機能さえ、よく分からなくなってくるのだ。高校までの教育を、「ゆとり教育」と批判するのは間違っている。

日本型の一発受験型の入試が全く機能しなくなる日は近い。「ゆとり教育は悪い」と批判をして、さらに点数至上主義へと進むことや、急激な少子化によって、各大学の入学学力の基準は次々に低下し、「名ばかり大学生」を量産する。これに理系離れが加われば、中位私立の理科学部、地方国公立大学の理系学部のレベルは想像を絶するほど急に落ちるという。

 

今後の展望

「少子化」・「大学側の定員の拡充」・「競争の激化からの離脱」この3つにより、「名ばかり大学生」を量産している。これを打破するには、小手先の改革では決して解決はしない。

「名ばかり大学生」の量産を防ぐためには、「高校の学費・公費の負担」「義務教育終了の際に資格試験を行う」「日本の名著の読了を義務づける」などを導入するのと同時に、もっと入学しやすく、卒業を難しくするなど、大学内で学力がきちっと上がるような「アメリカ型」の大学にしていく必要がある。変えるべきなのは大学側である。

 

 コメント

 

「名ばかり大学生」という言葉を見て、てっきり内容は現在の大学生の不勉強さを熱心に語るという、よくある話のものだと思っていた。しかし内容を読んでみると、現在の大学生を否定するような内容は全く書いておらず、「大学という制度」という部分に焦点が置かれているものだった。途中の議論は非常におもしろく、特に「高校までの学力と大学での学力は関係がない」「大学1年生での学力が影響している」というところは今までに聞いたことのない話だったので非常に驚いた。

でも実際まわりを見渡してみると、大学生に入ってからの学力の格差というのは、けっこう大きく開いている。勉強する人は暇な時間を使ってものすごく成長しているし、何もやらない人は何もやらない。こういった人たちが同じ学費を払ってたり、はたまた奨学金をもらっていたりすると、ものすごく「大学って何でもありなんだな」と思ってしまう。実際今の大学生に、「大学は学習するところだ」という考えを持って暮らしている人は少ない。多くの人は大学に対してあまり期待はしていないし、大学を「社会に出るための準備期間」として捉えている。

何かの本で、大学の機能の低下は「大学」だけを改革するだけではダメだとあるのを見た。アメリカの大学がなぜあんなにも機能しているのかは、「大学」「学生」「企業」この3つが相互的に働きかけているからだと書いてあった。アメリカの「企業」は、大学卒の新入社員を決める際に「学生」の成績をかなり重視する。すると「学生」は必死になって勉強をする。日本の教授みたいに、「レポート書けばAだよ~」なんてことをやったら真面目に勉強している学生は怒る。このようにして「学生」は「大学」に働きかける。「大学」側は「学生」を正しく評価する必要があるので、1人1人真剣に指導するし、アメリカの授業は「学生」が「大学」の授業を厳しく評価もできる。こういった「大学」と「学生」の真剣勝負があるからこそ、「企業」としても「大学」の評価を信用して、「学生」の採用の基準に使うことができる。

こういったように、アメリカ型の教育を目指していくのならば、「大学」の改革だけでは無理で、「学生」や「企業」にも働きかける必要がある。そう考えると一筋縄にいかない問題なのだ。

この本では、「大学」のみに着目したものであったので、他に「大学」と「企業」についてとか、「大学」と「学生」について書かれた本とかを見ていこうと思った。

いずれにせよ、僕は義務教育のゆとりをやめることによって、学力が上がるとは思っていない。寧ろゆとりを止めることによって、ここまで減少しつつあった、いじめ問題や暴力問題などに繋がり、教員の仕事が増えるだけだと思っている。塾という産業は潤うけど、所得格差による学力格差が一層広がる。実際に学力の向上を考えたときに大事なのは、授業の「量」ではなく「質」を上げることであって、「ゆとりにしたのに授業の質が上がらなかった」のが、ゆとりが効果を出さなかった理由だと思う。教育の方向性も「知識獲得」から「知識を使う」方にシフトをすべきなのだ。つまりは教員の質という話になりそうだけど、今の教員は地獄のように忙しい…。ちなみに文科省は、今後、「ゆとり終わるから知識はたくさん身につけさせなきゃいけないけど、知識を使って議論したりするのも今まで以上にやってね」と無茶なことを言ってきている。建前上は「ゆとり脱却」だが、本音は「使える人材育成」なんだと思う。そのあたりの議論とかは、もう少し知識をつけてから、また記事にしたいなと思った。

最後まで見ていただきありがとうございます。

 

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