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Yukihy Life

ゆきひーによる日常生活をアウトプットするブログ 映画・TOEIC・教育ネタとだいぶ物理とWeb制作

僕の「物理学とは何だろうか」

サイエンス エッセイ
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僕は今まで物理学を何年間か学んできました。

物理学を学んでいると、宇宙の設計図を見ている気分になったり、少し他の人よりも賢くなったような感じがしたりして、不思議な気持ちになるのです。そんなところが心地よくて、物理学を学ぶ原動力になっているのだと思います。僕はどんな分野の物理学も等しく好きです。

そんな僕がなんとなく「自分が学んでいる物理学って何なのかな」と思ったことがこの記事を書こうと思ったきっかけです。 この記事では「物理学とはなんだろうか」という問いについて、僕の考えたことが中心になります。

 

物理学とはなんだろうか。

それを考えるために、まず聞いたことのある「物理学」をひたすら挙げてみます。

  • 古典物理学
  • 相対論的物理学
  • 運動学
  • ニュートン力学
  • 光学
  • 熱力学
  • 波動学
  • 電磁気学
  • 解析力学
  • 流体力学
  • 統計力学
  • 量子力学
  • 素粒子物理学
  • 原子物理学
  • 数理物理学
  • 物性物理学
  • 表面物理学
  • 宇宙物理学
  • 理論物理学
  • 実験物理学
  • 生物物理学

・・・ おそらくもっともっとたくさんの「物理学」があります。 更にいうと、物理学者の数より多くの「物理学」が存在しているかもしれませんし、明日急に新しい「物理学」ができるかもしれません。「物理学」の数には限りがないのです。

ただ、これだけの「物理学」を前にして一つ言えることがあります。このどれもが「物理学の一部」であるけれども、同時に「物理学そのもの」といえるものはこの中に一つも無いということです。

 

では、物理学とはなんだろうか。

答えるなら、これらの「物理学」を全て集めた総体が物理学そのものだと言っても良いのでしょうか。

おそらく、僕の尊敬する物理学者達ならNOと言うでしょう。

そこに美しさが無いからです。ほんの一部の具体例を挙げて、全体を定義しようだなんて、拡張性や厳密性のかけらもない行為を美しいと思う物理の徒はいません。

 

もっとシンプルで強力な結論がほしい。

そもそも「物理学とはなんだろうか」なんて、大それた疑問に、僕のような未熟者が答えることもおこがましいけれども、それでも「今のところ」の「僕の個人的な」答えを出しておきたいのです。そのために、他の人が物理学をどう捉えているのか聞いてみました。

 

物理学とは何だろうか。

例えば、僕の大学で素粒子物理学をやっている先生はこう言います。

「物理学とは物体の未来を予測する学問だ」

なるほど、確かにニュートン力学ではボールを投げたとき、どんなふうにボールが運動するかを計算できます。量子力学や解析力学でも、最終的には何かの物理量と時間を結びつける式を求めることが目標です。物理学者らしい考えだと思います。

ただ、同時にこうも思います。

未来を予測しない「物理学」も存在するのではないか。

例えば、熱力学の方程式には時間に関する情報が全くありません。そもそも有限の時間で変化するような物理量を厳密に扱うと、熱力学の方程式は崩壊します。それでも、熱力学は物体のマクロな状態を説明することに大きな意義を持っています。

確かに、熱力学で説明できることは、ニュートン力学を応用した統計力学で、更に深く説明できると言われてしまえばそれまでです。それでも僕の中では熱力学が王道から外れた、不正確な学問だとは思えないのです。

未来を予測しない物理学も含む、もっと、もっと、広い答えが欲しいのです。

 

物理学とは何だろうか。

例えば、高校時代の友達はこう言います。

「物理学とは真理を探究する学問だ」

「真理」、なんと哲学的で、大きな目標を持つ、若々しい答えでしょうか。

物理の徒がいう真理とは、あらゆる現象を説明できる一つの数式を指します。素粒子物理学の先生が言う「物体の未来を予測する」ことができて、物体以外の未来を予測することもできて、熱力学が説明するマクロな状態も予測できるようなものです。

真理の探究のことの始まりは、ニュートンが力学を作って、シンプルな式で物体の運動を説明してみせたことです。それからというもの、この宇宙のすべてをシンプルな数式で説明するという夢に、物理学者は心を奪われ続けています。

かくいう僕も、その一人です。

ただ僕は、真理と直接関係しない物理学があって良いとも思っています。

なぜなら、仮に誰かが真理を見つけ出したとして、人間がその真理を使って厳密に説明できるようなものは、そう多くないだろうからです。

例を一つ挙げましょう。二つのロウソクの炎を近付けると互いの炎が大きくなったり、小さくなったりする、共振に似た現象を起こします。美しい現象なので、動画を見てみてください。

しかし、この美しい現象の周期を予測しようとするとき、おそらく真理を持ってきても何も分からないでしょう。

途中で非線形方程式という方程式が必ず出てくるからです。この方程式は、微積分を応用した解き方では、絶対に一般的な答えが見つからないという証明がなされています。こんなときには、計算物理や実験物理のように直接現象に当たる手法の方が数段有効です。

僕は、真理による理論的な説明のほかに、実験やシミュレーションなどのある意味「どろくさい」手法も物理に含めるような、もう少し広い答えが欲しいのです。

 

物理学とは何だろうか。

例えば、僕の父はこう言います。

「物理学は自然について説明する学問じゃないのか」

この考え方だと、真理による説明だけでなく、実験やシミュレーションによる説明も物理学に含めることができます。僕のほしい答えにかなり近いです。

ただ、この答えにも少し不満があります。

「物理学」は自然のありのままを説明できるものではないからです。

例えば、ニュートン力学は厳密にいうと間違っています。ニュートン力学に従った答えと実際の自然は、細かく見れば、絶対に、原理的に、完全に、ずれます。量子的効果が存在するからです。ニュートン力学が説明している自然は、この世界の自然とは違うものなのです。この世界の自然は、ニュートン力学が言っている、宇宙の初期条件を定めれば未来永劫の運命が決まってしまうような、単純なものではないのです。

もっと詳しく説明できる量子力学が自然のありのままを説明しているかというと、そうではありません。古典的な前期量子論では電子の質量を有限な値として理論的に予測することができませんし、そもそも自然を「観測する」とはいつ起こっていることなのか、現代でも答えが出ていません。

更に詳しく説明できる最先端の素粒子物理学でも、重力が働くメカニズムをミクロとマクロの両方の視点で説明することには成功していません。

では、自然について説明していないニュートン力学や量子力学、素粒子物理学が物理学ではないのでしょうか。多くの人が思うように、ニュートン力学も、量子力学も素粒子物理学も立派な物理学の一部です。

「説明する」という言葉は、物理学にとって、縛りがきついのかもしれません。友達の考えでは「探究する」という言葉がありましたが、僕の疑問にとってこの言葉はかなり本質的なもののようです。

だいぶ答えに近づいてきましたが、僕は、ありのままの自然を説明できなくてもいいような、もっとおおらかな、もっとひろい答えが欲しいのです。

 

物理学とは何だろうか。

三人の先達の考えを受けて、僕は自分の暫定的な物理学をこのように決めることにしました。

「物理学は自然に対する視座を与える学問だ」

確かに、相対性理論は「時間と空間を同じように見る」という視座を与えてくれますし、統計力学は「物理的集団を分配関数によって見る」という視座を与えてくれます。あらゆる物理学は自然に対する視座を与えていると考えて間違ってはいないような気がします。

ただし、この答えにも不満な点はいくつかあります。例えば、「万物を神の恩寵と見る」という視座を与えてくれる神学や、「生物の多様性を見る」という視座を与えてくれる環境保全学も同じ物理学なのでしょうか。僕にはとても、そうは思えません。 この違いは、おおよそ自然という言葉の曖昧さによるものです。自然という言葉を聞いたとき、多くの日本人は生命があふれる森林などをイメージすると思いますが、そういった「自然環境」と僕が言いたい自然は異なります。

僕が言いたい自然というのは動物、植物や人間だけでなく、無機物、天体、原子よりもミクロな粒子、空間そのもの、そして宇宙も含めた、この世界のすべてをひっくるめたものなのです。

ただ、過不足なくそれを言い表す言葉が存在せず、最もしっくりくる言葉を探したら、「自然」になってしまったのです。

 

不満は少し残りますが、少し考えるのに疲れてきました。とりあえず、「物理学とは何だろうか」に対する一応の答えが出ましたし、問いについて考えるのはここまでにしましょう。ある程度形になったので、少しほっこりしました。

 

僕の「物理学とは何だろうか」

次はこの、僕の考える物理学を僕以外の人に感じてもらいたいと思います。そのために、一つ例を考えてみました。

今、僕や皆さんの目の前にあるディスプレイは、電源からエネルギーを取り出して、この文章を写しだしています。また、僕や皆さんは、ちょっと頑張れば、体重60kgの人間が地表にいるとき、同じ人間が地球の中心部にいるときに対して、約120000kJの重力ポテンシャルエネルギーを持っていることも計算できます。 何が言いたいかというと、エネルギーという物理量が存在します。

 

「存在します」と書きましたが、本当に存在しているのでしょうか。

 

「何を、バカなことを言うんだ」と思う人がいるかもしれませんが、僕はエネルギーを見たことがありません。

触れたこともありません。もちろん、感じたことだってありません。人間の感覚器は光や圧力、温度、ある種の化学物質の存在を感じることができるけれども、エネルギーそのものを感じることはできないからです。

現在と同様のエネルギーの概念は、19世紀の物理学者コリオリが定式化してから定着しました。それ以前はエネルギーなんてものが「実在する」とは、一部の学者の間でしか言われていなかったのです。

 

それでも現在、僕はエネルギーが存在すると考えています。正確に言うと、「エネルギーが存在すると考えたほうが、都合がいい」と考えています。エネルギーの存在はいくつかの物理学が与えてくれる視座の一つだからです。

解析力学という物理学の分野ではエネルギーの変化のしかたによって、あらゆる物体の運動を予測できるという視座を与えてくれます。この視座がなければパソコンの設計などは、ほとんど不可能でしょう。

相対論的物理学では、質量とエネルギーは本質的には同じものだという視座を与えてくれます。僕や、この記事を読んでいる皆さんは、実は、エネルギーの塊です。莫大なエネルギーがあるから、質量を持てるのです。そして、そのおかげで地球上に存在しています。エネルギーは、物質そのものよりも、もっと根源的な存在だということがわかります。

 

こういった、解析力学や相対論的物理学が与えてくれる視座に立つと、エネルギーの存在を認めざるを得ません。エネルギーの存在を疑わない人は、知ってか知らずか、これらの物理学の与えてくれている視座に立っていたということです。

僕の考える「物理学とは何だろうか」という問いの答えは、エネルギーを通してあらゆる自然を見る物理学があるように、何か見るべき自然の性質を決めて、その性質についてクローズアップして見るという行為に深く結びついているのではないかなと、思います。

 

物理学とは何だろうか。

とても非生産的な疑問です。多くの人は考えずに一生を終えるでしょう。また、考えたから何かが変わるわけでもありません。 ただ、こんな壮大な疑問を考えられるのは世間知らずな学生か、ノーベル賞受賞者だけだろうということで、学生のうちに考えておいたわけです。

明日には恥ずかしくなって消したくなると思いますが、これが僕の考える「物理学とは何だろうか」でした。

そして、世間知らずな学生の皆さんは、自分の「専門分野とは何だろうか」を考えてみてください。

 

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