Yukihy Life

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続 読了!「生活保護VS子どもの貧困」

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前回の記事の続きというか、同じ本についての感想です。

生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)

生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)

 

 前回の記事を読んでいないから分からないといった内容ではありませんが一応。

前回では、本の前半部分についての感想を書きました。内容は生活保護に関してですが、簡単に言うと生活保護の議論は、

「生活保護の不正受給が増えとるやないか!もっと厳しくしろ!」という適正化モデルの人たちと、「生活保護では生活が補えてないで!もっと甘くしろ!」という人権モデルの人たちの両極端に分かれていて、今の政府としては不正受給を取り締まる、適正化モデルの方向を示しているというところです。

適正化モデル

 目線:納税者

 強調すること:個人や家族の責任

 取り上げる事件:芸能人の母親の保護受給

人権モデル

 目線:利用者

 強調すること:政府の責任

 取り上げる事件:北九州孤立死事件

芸能人の母親の保護受給

2012年、某お笑い芸人が年収数千万円もちながら、自分の母親に生活保護を受給させていた。某芸人は飲み会の席で、「いま、オカンが生活保護を受けていて、役所から“息子さんが力を貸してくれませんか?”って連絡があるんだけど、そんなん聞いたら絶対アカン!タダでもらえるんなら、もろうとけばいいんや!」と話していたという。

北九州孤立事件

2006年12月、肝臓などを患い働くこともできなかった男性は、生活保護を申請。市は「働けるが当座の生活費もなく、電気やガス、水道も止められていることから、生活は逼迫している」として生活保護の受給を認める。その後、市は就労指導をするが、男性は「自立して頑張ってみます」と話して辞退届を提出。2007年7月に死後一カ月の状態で孤立死をしているのを発見される。一部ミイラ化した死体のそばには、「おにぎりを食べたい」「無理やり(辞退書)を書かせ、印まで押させ、自立指導をしたのか」「生活困窮者は早く死ねということか」と書かれた日記があり、市の対応が問題視された。

こんなところです。

こういった対立に対して筆者は適正化モデルと人権モデルの中間の位置である「統合モデル」という考え方を出しています。この考え方は、考えはそれぞれのモデルで、偏った考え方を主張しあうのではなく、まずは「頑張れば手が届きそうな、いまよりはちょっとだけましな社会」というものを目指すという考え方。そして生活保護の役割をトランポリンのような、受け皿が大きく、すぐに社会に跳ね返せるような社会にするべきというものだ。

僕自身の考えは前の記事に書いてある通りですけど、この文章を読むだけだと「筆者はすごく能天気な性格だな。適正化モデルと人権モデルの中間をすれば良いなんて無責任な本だ」と思うかもしれない。だが実際に多くの生活困窮者の支援などをしてきたこの筆者が言うので、本当にすぐにできることもできていない状態に陥ってるのではと思う。

前の記事でも書きましたが、生活保護を実際に受けている人は社会全体の1.6%しかいないので、こういった議論をするときにはどうしても多数対少数になってしまう。生活保護と無縁の生活を送っている人が大半だと思うので、少数派の意見をしっかり聞くことが大切です。

 

概要

 本の後半になると、子どもの貧困についても意見が述べられている。2013年、生活保護法の改定と共に、日本で初めて「貧困」と名のついた法律ができます。それが「子どもの貧困対策法」です。

第一条 この法律は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策に関し、基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、及び子どもの貧困対策の基本となる事項を定めることにより、子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする。

一次資料http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/kaigi/dl/130725-02.pdf

 この文章からも分かるように、子どもの貧困問題というのは政府が手を出すほどまで、深刻化しています。子どもの貧困率は、先進国OECDの中で24位/34位(2008年 14.2%)と下の方に位置しています。この子どもの貧困化が進む原因として筆者は

①働く親の所得の現象

②ひとり親世帯の増加

が大きいとしています。貧困と本人の怠惰をすぐに結び付けたがる人がいますが、多くの場合、家庭環境に問題があることが多いのです

子どもの貧困が続くと、そのツケは社会全体に帰ってきます。例えば、18歳の高卒の男性が65歳まで生活保護を受け続けた場合と、職業訓練を受けて65歳まで正社員として働いた場合を比べると、後者の方が国の財政に1億円以上のプラスをもたらすそうです。そういった意味も込めて、社会保障は短期的な「コスト」ではなく、長期的な「投資」であると捉えるべきである

しかし長期的なメリットというのは実践するのは難しい。筆者は、生活困窮者支援を展開するために、三つの要素をサイクルさせることが必須であると言う。本中では「黄金の三角形」とされ、

①財源…まずは財源がないと何もできない。この財源によって実際に体制を展開する

②体制…財源を元に実際に困窮者支援の体制を整え、実践する。実践した結果は国民に評価される

③評価…体制の結果がどうだったか、評価する。国民が評価をすれば、大きな期待を込めて国民から財源が出る

といったものだ。これらは三つが全て成り立っていないと、継続的に社会保障を行っていくのは難しい。しかし現在の議論では「体制」ばかりに目がいきがちだと筆者は言う。「どんな体制にするべきなのか」「専門性のある職員がいない」「NPOの利点を行政が理解していない」などだ。そういった議論は決して無駄ではないのだが、「体制」のもととなる「財源」の議論がない。もっと言えば、その「財源」のもとである国民からの意識、つまり「評価」というポイントを無しにしての議論が多い。

この国民からの意識を高めるためには、基本的に「短期的」な結果を出さなければいけません。「短期的」でなければ国民としては納得しないからです。そうすると国としては同じ生活困窮者でも、すぐに復帰ができそうな比較的能力の高い者への支援に重心を置きます。その方が社会復帰率という数字が大きく出やすく、短期的に国民を納得させやすいからです。

しかし社会保障としての役割としてはそれではいけません。どんな生活困窮者にも平等に対応する必要があるからです。復帰しやすい者を選んで、復帰をさせるやり方は「短期的」にはすぐに効果はあるかもしれませんが「長期的」には一向に復帰ができない者が出てきます。先ほども述べましたが社会保障は本来「短期的」なコストではなくく「長期的」な未来への投資となるべきです。

筆者は最終的に

・「短期的」な政策で数字を出し、「財源」を確保するのと同時に「長期的」な政策により保障の能力を底上げする

・「長期的」な政策を検証し、国民に理解してもらうような新たな統計技術を出す

ということが大切だと言っています。一つ目のことは今までのことを組み合わせただけなので良しとし、二つ目の統計技術としてはSROI(Social Return On Investment:社会的投資収益率=社会的価値/投資額)というものが日本でも試行的取組がされているそう。

最後に、生活保護は今まで何十年も最後のセーフティネットとしての役割を果たし、様々な人を支えてきた。その役割を壊すことなく、次世代へと繋いでいくべき。としめている。

 

感想

 生活保護というシステムは、はるか昔にイギリスで誕生したみたい。成り立ちも国民からの強い資本主義体制への反発として、王政としても国民の感情を抑え、治安を維持するような目的として取り入れられたようだ。そういったことを考えると、生活保護というシステムは当事者に密着して考えられなければいけないし、政府の中だけで考えられるべきことでは無い。同時に、生活保護を受けていない人も安易に「受給者は穀潰し」と一蹴してはいけないところだと思う。

この本の中でも、民間の団体やNPOによる生活困窮者への支援というものがたくさん具体例に書かれている。生活保護の本当の最終的なセーフティネットは政府がつくるべきだけど、社会復帰させるとか、希望を持たせるとか、トランポリン的な支援は政府ではやり辛い。そういった支援は当事者と向き合ってやるものだし、だからこそNPOとかの活動が非常に有効な理由だと思う。

この本で一番共感したのは、p180の「お金を払って海外ボランティアに行く大学生たち」というところだ。確かに学生の意識の中で、ボランティアと言ったらアジアやアフリカ・南米を指すだろうし、一般的だ。日本国内の貧困問題なんて外国人に言ったら「そんなことある訳ない」と笑われると思う。でも現状はイギリスとかでも急速な貧困化が進んでいたり、どこの国でも十年先は分からない問題なんだと思う。国内ボランティアが非常に大きな社会貢献をしているというのもこの本から伝わってくる。

貧困の問題を後半で「短期的」「長期的」と時間で分けていたのはとても斬新だった。上の概要で書いた部分は、文章の言葉でまとめたと言うよりは、僕自身が結構いじくったりしたので、本当は少し違ったことを書いてしまったかもしれないけれど、僕の解釈というところです。

国民の感情は「短期的」な部分しか目を向けないというのは本当だと思う。実際、生活保護者が増えたときに「長期的」なロスを考える人というのは少なく、「月いくらも貰いやがって」という不満ばかりだ。政治家が目の前の減税増税ばかりを論点に選挙を戦うのと同じで、少子高齢化を第一に訴えることはない。「長期的」に考えるなら少子高齢化が一番の問題だと思うのに。

結局、何かを説得するのに、本当に効果のあることでも長期的な部分を訴えていたのでは人の感情は動かない。「半年間聞き流すだけ」みたいな嘘くささが付きまとうし、僕自身短期バイトなら日払いだし。だけど問題を解決していくならば、政策に付き合ってマクロ的に見る必要があるなと思いました。

最終的には信頼関係と正しい知識だと思います。信頼関係はほぼ無いと言って良いと思うので、正しい知識をつけていきたいです。

ちょっと最後の方論点がずれた気がしますが、良い本を読めました。

 

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